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医師不足に悩む地方の病院では、その教授に金銭を渡すことで、なんとか自分の病院に医者を派遣してもらうように働きかける。
こうした構造がある以上、人事権を一手に掌握する教授に利権が生じるのは理の当然だ。
従来、強制的に関連病院へ医者を派遣するのは当たり前のように行われてきた。
だが、最近になって学務部長がその権限を持つようになり、以前よりは公平性を持つようになった。
関連病院へ強制的に医者を派遣できなくなったことが、大きな問題を引き起こすことになった。
前項で述べたとおり、大学医学部の教授が医師派遣の決定権を持っていたことが、大きな社会問題を引き起こした。
H大学医学部で医師派遣をめぐって、不明朗な金が民間病院から教授に渡っていたのだ。
そのために、H大は佃年4月に医局制度を廃止するに至った。
これによってH大は医師派遣の窓口を医学部長に一本化し、医師派遣は教授らでつくる「地域医療対策委員会」で決められるようになったのだ。
医学部の医局は旧態依然とした体質の組織である。
その組織構造は複雑に入り組んでおり、部外者にはなかなかわかりにくい。
その組織構造をごく簡単に説明すると、以下のようになる。
頂点に立つ主任教授が別名から100名くらいの医者を管理している。
主任教授はあらなぜこうした不条理な人材派遣が日常的に繰り返されていたのかというと、その理由はきわめて明快だ。
関連病院へ医者を派遣することを、人事異動の手段あるいは、医局内の反乱分子の左遷人事として主任教授が利用していたからである。
絶対的な権力を持つ主任教授は、少しでも自分に反抗する医者がいれば、即座に関連病院へ派遣する。
まさに旧ソビエトの共産主義社会となんら変わらないのが、医局という組織だった。
こうした医局制度は不合理極まりない制度であることは確かである。
だが、見方を変えれば、医師不足に悩む地域にとっては、非常にありがたいものでもあった。
なぜなら、あらゆる権限を持ち、その権限が利権を生み出していた。
主任教授に絶対的な権限が集中しているだけに、医局員は教授の決定に従うしかない。
前述したとおり、関連病院への医師派遣についても、教授が決定権を当然持っていた。
本章の冒頭で記したように、突然に教授から命令がくだり、関連病院へ派遣されることは、それほど驚くべきことではなかった。
最近は、医局内の規定で2年以内に、本院に戻すというような措置を講じているが、かつては派遣されたままずっと本院に戻れないことも多者の派遣を主任教授の鶴の一声で決めることができたので、過疎地であろうと僻地であろうと大学病院から医師が来てくれたからだ。
H大学の一連の制度改革によって、医局制度が廃止される。
この改革により、医者が自分たちの意見を主張するという当たり前のことが起きるようになった。
自分の行き先を自分の意志で決められるようになれば、あえて労働条件の厳しい病院や、十分な診療をするための設備が整っていない僻地の病院へ、好んで行くという医者がいなくなったのは、当然のことであろう。
最新の医療技術を身につけたい若い医者は、指導してくれる医者もいない、医療器械も古いものしかないような病院には、誰も行きたがらないのだ。
それに医者不足の地域へいけば、型時間自分が監視されているようなもので、自由はなくなり、本当に医療にすべてを捧げなければならなくなる。
肉体的にも精神的にも疲れ果ててしまうのだ。
自分の生活を大切にしたいと考える最近の若者の傾向は医者にも見られ、滅私的な状況を好むわけがない。
事実、インターネット上のある医者の雇用サイトでは、「ゆとり勤務の病院」というような就職先を紹介している。
これも今の若い医者たちが、自分の時間を優先し、そこ稼げれば無理をしてまでやっていきたくないということの現れであろう。
「志高く医者になったのなら、医療過疎の場所へ行き、患者のために尽くすのは当たり前だ」という意見は、あまりに一方的である。
医局制度の廃止が一部の大学病院で起きていたが、さらに大きな改革が起きた。
2004年から新研修医制度が開始され、研修医が自由に研修先の病院を選べるようになった。
研修医制度が変わるまでは、医学部を卒業すると、研修を受けなくとも医師国家試験に合格すれば、法律上は医師として開業をしても問題はなかった。
研修は義務づけられてはいなかった。
そうはいっても実際には、医学博士や専門医の資格を取得することは、大学病院の医局に所属していなければ難しかったので、卒業と同時に、自分が将来所属する医局に入って、医局から各診療科へ研修をするという形になっていた。
だから研修医とはいえ、あくまでも所属している医局の主任教授の意向が大きく影響していたのだ。
大きくその制度が変わって、研修をしなければ医師として開業もできなくなった。
同時に、研修2年間は医局に所属しないで、自由に自分の研修先を選べるようになったのだ。
研修医として研鍛を積めば、広い知識を吸収して経験を重ねることができるだろうから、研修医制度を義務化することはプラスに働くと期待されたが、そうはいかなかった。
新しい研修制度では、研修したい病院を自分で決めることができることになった。
これは「マッチング」といって、自分が研修したい病院に就職希望を出し、病院側は志願してきた医者のなかから、医者を選ぶことができる。
ある意味では、医療のなかに競争原理や市場性がはじめて持ち込まれたともいえる。
こうした制度改革によって、研修医の指導をしっかりやってくれる病院、臨床経験をたくさん積める病院、将来就職先としても有望な病院、そういったところに研修医が就職を希望するようになった。
人気のある病院は倍率が100倍に届くこともある。
医局に残る医者は減り、医局の崩壊がはじまったのだ。
医者たちは研修医のときから、自己意志で自分の将来を考えていくことができるように新しい研修医制度が始まり意外なことが起きている。
自分の卒業した大学病院で研修を受ける医者が少ないのだ。
それとは逆に、大学病院にいる医者は10年の50人から11年は110人に増えている。
これは、研修医が減ってしまったので、周辺の病院に派遣していた大学病院所属の医者を引き揚げ、減ってしまった研修医の減少分を補ったのだ。
つまり、研修をする魅力のない大学病院では研修医が激減し、医員(研修医以上の給料)になった。
アメリカでも同様の研修医方式を導入した経緯がある。
だが、すでにやめている。
あまり臨床に役立つ医者を育てられないという判断があったようだ。
現在では、医学部で実習をするときに研修医に近い経験を積ませるようになってきている。
その意味ではまだまだ日本の研修医制度は遅れているのだ。
どうしてこのようなことが起こったのだろうか。
一昔前までは考えられないことだが、いま、研修医のなかには一般病院での研修を希望する者も多い。
一般病院で研修し、そのままその病院の常勤となっていく傾向がある。
大学病院では十分な臨床指導を受けられないことを研修医たちは知っているので、母校に興味を示さず、実践的な病院での研修を希望するようになったのだ。
こうして大学病院に研修医がいなくなるという事態が生じてしまった。
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